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ゆらぎの「背骨ゆらし」 

いながらにして露天風呂の気持ちよさ。 究極の気功のかたち、誰にもできる夢見心地の背骨ゆらし。



右へゆらゆら、左へゆらゆら、前後、右回し、左回し、ゆうっくり、ゆっくりスローモーションでやる背骨ゆらしにはまって半年弱、新しもの好きの三日坊主でとおっていたのに、いったいこりゃどうしたことかといえば、何しろ気持ちがいい。そりゃ、快楽の種にことかかない現代社会だけど、この気持ちよさに匹敵するものはそうないと官能主義者の私が保証します。「気持ちがいいことは身体にいい」というのは快医学の瓜生良介さんのテーゼだけど、まあ、露天風呂入って、「ああいい湯だなあ」というときのことを思い浮かべれば、納得できるはず。

この背骨ゆらしの考案者は気功の第一人者の津村喬さん。気功の功は毎日繰り返す、積み重ねるという意味だそうで、何よりも大事なのは生活習慣にすること。となると、シンプルで誰にもどこでもできてかつ気持ちがいい、っていうのが条件になる。よーするに顔洗ったり、歯磨いたり、飯喰ったりするようなものじゃないとダメ、朝飯前じゃなくてはダメだってこと。

今では歯みがかないことはあっても背骨ゆらさない朝はない。
これがどう身体にいいかは、明日の朝やってみた人に聞いてください。

え、何か聞こえてきた?
痛みや疲れに、ちょっと敏感になってみませんか?
「からだの声に耳を澄ます」ということ

背骨ゆらしの気持ちよさ、心地よさの一端はわかってもらえたのじゃないかと思う。でも、気持ちがいいだけなら朝寝・朝酒・朝湯で身上つぶした小原庄助さんと同じじゃないの。私は快楽主義者じゃない、というあなたに、この背骨ゆらしの素晴らしさ、これまたほんのさわりですが私が体験して感じていることをお知らせしましょう。

頭や情報に左右されるんじゃなく、からだの声に耳を傾けるとはよく言われるセリフです。

「あれがいい、これが悪い」は何も健康食品やみのもんたの番組だけの話じゃなく、食養の世界でもあります。「一般論として」という前書きを忘れたり、「今の自分にとって」という条件を忘れたら、役にたつ知恵が役にたたなくなる。混乱のもとになるだけだったりする。

大事なのは、基準を外の世界にじゃなく自分の内側に持つ、それも固く内側に閉じこもってじゃなくね。さて、じゃあ、自分の内側に基準を持つにはどうしたらいいのか?

それが「からだの声に耳をすます」こと。そのための方法としても最適なのがこの「背骨ゆらし」。朝の15分、ほんの少しの「背骨ゆらし」時間を持つのを習慣にすると、毎日何があっても、惑わない。迷わされない。自分にあった直観的判断ができるようになる。私の短い間の体験に照らしていうと、病気を持っていても、障害があっても、人とのあいだに感情的な行き違いがあっても超えられる。気持ちいいのが心地よいに、心地いいのが幸福感に変わる。

自分探しとか中心感覚とかセンタリングとか、やれチャクラだ丹田だとかいろいろ言われるけど、よーするにみんな同じ方向を向いた作業「からだの声に耳をすます」という行いを言ってるんだろうと私は思ってます。デティールの違いはもちろんあるけど・・・。

この背骨ゆらしほど簡単で奥行きの深いモノはないっていうことです。
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